残像メンタルトレーニングメソッド

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「ルーティン」とは怪しいもの

2011年08月25日

「ルーティン」は、誰でも日常生活に採り入れることができる。

朝起きてまず歯みがきをし、顔を洗う。
朝食を済ませてから新聞を読み、おもむろにトイレに向かう。
一方には、まず新聞を読んでから朝食をとり、そしてトイレ、しかるのちに歯みがき・洗顔といった手順を踏む人もいる。
いずれにしても、その行動パターンはほぽ毎日、決まっていることだろう。

しかし、これを単なる生活習慣として無意識に行っているだけでは、「ルーティン」とは言えない。
たとえば洗顔の際に、笑顔をつくるための顔面筋肉の運動をし、鏡に向かってにっこりとほほ笑みかける。
ほかの人が見たら怪しいこんな所作も、その日一日をさわやかに過ごすために意識して行っているとしたら、立派な「ルーティン」である。

出社して机の前に座るとまず一服、というサラリーマン諸氏は多い。
これとて、ただ何となくタバコに火をつけているだけでは駄目だ。
通勤電車の疲れを癒し、今日一日の仕事へ向けての心の準備として意識的に行っているのであれば、やはり「ルーティン」と言えよう。
ポイントは、その行為が及ぼす結果に意識が向いているかどうかである。

数年前、私は生駒山地にある宝山寺でたった一人の尼さんにお目にかかる機会があった。
何やかやの雑談のなかで、彼女がふとこんなことを言った。

「朝日覚めたとき、手をこすり合わせて熱を持たせ、瞼に当てて押さえるといいですよ」
何に「いい」のかさっぱりわからなかったものの、そう語る彼女の雰囲気には妙に説得力があった。
以来、私は毎朝、目覚めると、まず手をこすって瞼に押し当てることにしている。
そうしながら、これは私のオリジナルだが、「今日はいいことがある」と口に出して言い聞かせるようにしている。
これを三回繰り返してから、布団をはねのけて起き上がる。
それで、本当にいいことがあるのかどうかはともかく、この「ルーティン」を始めてしばらく経った頃、瞼を押さえながら、実は前日に起こった「いいこと」を思い出している自分に気がついた。
もちろん、「いいこと」なんかなかったと思う日もしょっちゅうある。
それでも、無理して「いいこと」を探そうとすれば、たいてい一つや二つは見つかるものだ。
そうして改めて「今日はいいことがある」と言い聞かせると、何やら霊験あらたかなような気がするから不思議である。

今では、寝過ごした朝などにうっかり「ルーティン」を忘れて起き上がってしまうと、その日一日、どうも調子が出ない。

こんなことを大真面目に書いていると、読者にそっぽを向かれてしまいそうだ。
だが、これで驚いてはいけない。
私の妻はもっと怪しいことをやっている。
毎月の月初めの日、朝起きると、口の中でもごもごと何事かを唱え、やおら、枕を肩にかつぐのである。

毎月欠かさずにこれをやるものだから、結婚当初、私は大いに怪しんだ。
問えば、先祖代代の習わしらしく、「月見る月は多けれど、金見る月はこの月の月」と一気に三回唱えるのだという。
肩にかつぐ枕は千両箱に見立てているとのこと。
で、これを行うと、その月はお金に困らないで暮らせるのだそうだ。

こうなると、もはや「おまじない」である。
それに、これが功を奏しているのかどうかもはなはだ疑わしい。
ただ、妻が、この行為の及ぼす結果を切実な思いで意識しているのは確かだし、しかも、結婚以来二十数年間、欠かさずに行っていることを考えれば、彼女の「ルーティン」としての地位を与えてもよさそうに思う。

毎月の月初めの日の朝、寝床で、片や、手をこすり合わせて瞼を押さえながら、何かぶつぶつ呟く夫。
片や、何かぶつぶつ呟いたかと思うと、やおら枕を肩にかつぐ妻。
とても正気の沙汰とは思えない光景だが、どうか笑わないでいただきたい。
「ルーティン」とはそもそも、他人が見れば、怪しくも滑稽なものなのである。

また、必ずしも期待通りの結果が得られないことを、恐れないでいただきたい。
それこそ人間業である所以。
イチロー選手だって、”儀式”を終えたからといって、常に会心のヒットが生まれるとは限らないのだから。