残像メンタルトレーニングメソッド

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いかにも日本的な区分け

2012年01月19日

さて、今まで、人間の思考の昼と夜との違いについて述べてきたわけだが、こうした違いが、具体的な形をとって表れているものがある。
それは、都市とその建物群である。

私が建築設計を本業としているから目についてしまうのか、それとも、都市や建物はそもそも人工的なものだから、必然的に人間の欲求が反映されてしまうのか・・・。
ともかく、日本の都市はどこへ行っても、昼間しか活性化しないゾーンと、夜にしか活性化しないゾーンとにくっきりと分かれているようだ。

私が活動の本拠としている大阪を例にとってみると、市の中心を南北に走る御堂筋、それも、地下鉄でいえば本町駅から淀屋橋駅ぐらいまでの区間の両脇に広がっている区域(東京でいえば丸の内や大手町か?)は、完全にと言っていいほど昼間しか活性化しない。
いわゆるオフィス街だから、夜8時を過ぎるとまるでゴースト・タウンと化してしまう。
たまに人影が見えたかと思うと、たいていは警備のおじさんである。

この区域とちょうど背中合わせに広がるのが大阪一の歓楽街・北新地(東京でいえば新宿の歌舞伎町や六本木か?)。
このゾーンはオフィス街とは対照的に、夜間は弾けるぐらいに活性化するのだが、昼間はゴースト・タウン。
動いているのは店舗改装業者か出入りの酒屋の配達人で、たまに、ネコのように肥大化したドブネズミが通りを横切るのに出くわす。

それぞれのゾーンにある建物群がまた興味深い。

オフィス街の建物は、昼間の太陽に全体があからさまに照らし出されるせいか、はたまた大脳新皮質の支配下に置かれた人間の心理状態のせいか、どっしりと落ち着いた、重厚感あふれるものが多い。
建物自体の装飾も、ファサード(建物の正面)だけでなく、道路に面していれば四方のすべてに落ち着きのある装飾がほどこされている。
しかし、夜になると、それらをライト・アップするといった意図などはなく、一見近寄りがたくて、まるで廃墟と化した中世のお城のような威圧感がある。

片や、夜が主役の歓楽街の建物。
こちらは、闇にまぎれてその全体像を把握することはできない。
代わりに、建物らしきものから突き出たネオンや電飾看板が、我も我もと自己主張し、幻想的な雰囲気を醸し出して人の本能を目覚めさせる。

ところが、昼間の眺めは、打って変わって殺伐としている。
全容を現した建物はひどくみじめで、今にも倒れてしまいそうなものさえある。
あんなに美しく輝いていたネオンは危なっかしくぶらさがっているのみで、よく落ちないものだと不思議にさえ思われる。
蝶のように優雅に出迎えてくれた女性たちも、昼間見ると、文章にするのもはばかられる。

では、それらの建物の内部はどうか。

オフィス街の建物の中は、機能重視で整然、合理性に富んだ空間を形成している。
一方の歓楽街の建物の中は、機能無視で雑然、合理性のかけらもない空間である。
わざわざ天井を低くしたり、狭いところに押し込めたり、迷路のように入り組んだ構造にしたりする。

こうして比較してみると、よくもまあ、見事に昼夜の思考の違いを反映したものだと感心させられる。
しかし、とりわけオフィス街と歓楽街のはっきりした区分けは、日本独特の都市景観のように思われる。
アジア諸国やアメリカの一部の都市にも確かに歓楽街は存在するが、日本のように、全国どこへ行ってもというほどではない。

私は10年間イタリアに住んで、その間ヨーロッパ各地を旅行したが、ヨーロッパの都市で日本のような歓楽街を探すのは難しい。
観光収入に頼っている都市に若干見られるものの、その規模は比べるべくもない。
ビルの一階がパブやレストラン、二階がバーであったりするのだが、その上は住宅やオフィスであるのが普通だ。
つまり、昼にしか活性化しないゾーンとか夜にしか活性化しないゾーンというのではなくて、昼の活気と夜の活気が、たいていは渾然一体となっているのである。
日本ではっきりと区分けされているのは、建て前と本音、表と裏を巧みに使い分ける文化の表れである、と考えるのは強引に過ぎるだろうか。