残像メンタルトレーニングメソッド

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儀式としての「ルーティン」

2011年08月17日

前に、プロ野球のイチロー選手の例を出した。
彼は、バッターボックスに立つと、まず右腕をセンター方向に伸ばしてバットを垂直に掲げ、視線がその先を追うようなしぐさ。
次いで、左手でユニフォームの右肩のところに触り、袖を軽く引き寄せる……。

これを見て、「イチローには変なクセがあるね」と言う人がいるかもしれないが、それは違う。
相手投手を威圧するためのボディ・アクションでもない。
第一章でも述べたように、心身のリラックスを得、来たるべき投球に集中するための彼なりの”儀式”なのである。

クセとは、たとえば貧乏ゆすりのように、緊張したときなどに知らず知らずのうちに出てしまうもの。
しかし、イチロー選手の一連の動作は、もともと無意識ではなく、こうすれば自分はこうなる、とその効用をはっきり意識して始められたものだ。
きっかけが何だったのかは知らないが、たぶん、あるとき、たまたまその動作をしてホームランが飛び出したので、次に同じ動作をしたら、また会心のスイングができた。
そこで、これを繰り返し行っているうちに、いつのまにか身についたということなのだろう。

一般に、何事かに際して常にとる行動パターンのことを「ルーティン」という。
「決まりきった仕事、慣例、手順」などとも訳されるが、私はこれを、もう少し厳密に定義したいと思う。
つまり「ルーティン」とは、ある目的を達成するために意識して行う決まりごと。
いわば一種の”儀式”であって、今は半ば無意識に出てくるにしても、そもそもそれを始めるにあたっては、明確な意図があったはずのものなのである。

こうした「ルーティン」は、スポーツ界のあちこちで見られる。
大相撲には、土俵に塩をまく文字通りの儀式があるが、まき方は力士それぞれである。
指先にちょっぴり塩をつまみ、申し訳程度に土俵に散らすだけの力士もいれば、もう引退した水戸泉関のように、山盛りの塩をわしづかみにし、天にも届けとばかりに投げ上げて土俵に塩の雨を降らせる力士もいる。
この両者の対戦ともなると、その対照があまりに際立っているので、館内はいやが上にも盛り上がる。

もちろん、水戸泉関のような塩のまき方には、観客を喜ばせるためのパフォーマンスの意味合いも多分に含まれている。
それがプロ・スポーツというものだ。
しかし、それはまた、力士の心身を最高の状態にもっていくための「ルーティン」でもあるだろう。
万一、用意された塩の量が充分ではなくて、いつものように目一杯の量がつかめないとしたら、彼はもうひとつ調子に乗りきれず、あえなく土俵に転がされることになるに違いない。

テニスの試合を観戦すればすぐに気づくと思うが、サービスの際の選手のしぐさにも、それぞれ特徴がある。
ある選手は必ずボールを三回、地面でバウンドさせる。
別の選手は二回バウンドさせ、額の汗をぬぐってまた二回バウンドさせる。
途中で邪魔が入って動作が中断されると、また初めからやり直す。
こうして、その選手固有の「ルーティン」をこなすことによってはじめて、彼らは試合に集中できるのである。

ポイントとポイントの合間にラケットのガットを指で整えるしぐさをするが、あれも、ガットを整えることに本来の目的があるわけではない。
そのときの選手の表情を見るとわかるように、しばし忘我の境地に入り、リラックスして、次のポイントに向けた新たな集中力を得るためのように私には思える。

もし、ガットを整える充分な時間を与えないで相手がサーブを放ったとしたらどうだろうか。
その選手はすっかりリズムを崩し、実力を発揮できないままにずるずるとポイントを失っていくに違いない。
実際には、そんなシーンを目にすることはめったになくて、ガットを整え終わり、しっかりレシーブの体勢をとるのを待ってサーブが放たれるのが常のようだ。
さすがは「紳士のスポーツ」である。