残像メンタルトレーニングメソッド

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脳が衰えている!

2010年07月21日

人間の脳は、学習を通して理解や判断の回路をつくり上げていく。
成功が続けばその回路は次第に太くなり、失敗すれば、修正してまた別の回路をつくり出そうとする。

若いときは失敗も多いから、修正も頻繁に行われる。
しかし、年を重ね、失敗の数も減って回路がどんどん太くなってくると、今度は修正を拒みがちになる。
太い回路に身をまかせていたほうが楽だからである。
こうして脳の老化が始まる。

当たり前だが、人は誰でも年をとる。
つまり、老化する。
それを認めたくなくて表面上は強がっていても、実は密かに自覚して、しょんぼりしているというのが本当だろう。

いつ、どんな事柄に”老化”を自覚するかは、人それぞれであろう。

ずいぶん前のことになるが、私は、関西出身のあるベテラン歌手が、コンサート会場で次のようにしやべって笑いをとっているのをラジオで聞いた。

「中年になると、まずオシッコのキレが悪くなる。
次に、駅の階段を走って下りようとすると、足がもつれて転びそうになる……」

それから何年か経って、トイレで自分のオシッコのキレが悪くなっているのに気づいたとき、私は愕然とした。
続いて、駅の階段を駆け上がると息切れがするのはもちろんのこと、駆け下りようとすると膝が笑って危なっかしい思いもするようになった。
「ま、いいや。走るぐらいなら次の電車にしよう」と思っている自分を発見して、はっきりと”老い”を自覚した。
四〇代半ば頃のことだったろうか。

新聞や辞書の宇が見えにくくなる、爪楊枝が手放せなくなる、たまに運動をするといつまでも筋肉痛がとれない……と、老化を悟らせる現象は枚挙にいとまがない。
しかし、これら純粋に肉体的な問題は、ある意味では納得して受け容れられないこともない。
周囲に目をやれば、同世代の誰もが同じ境遇に置かれていることが容易に見てとれるからである。

が、しかし――。

ある休日、私は財布を手に、まさに出かけようとしていた。
電話が鳴ったので、居間に引き返して受話器を取ってみると、うっとうしいセールスの電話。

そそくさと電話を切り、さて改めて出かけようとすると、手に財布がない。
ポケットにもない。
迷わず玄関の下駄箱のところに行ったが、そこにもない。
ここで、頭の中が真っ白になった。
やむなく、台所で洗い物をしている妻に声をかける。

「おーい、俺の財布、知らない?」
ぶつぶつ言いながら姿を現した妻とともに、探しまわること、しばし。

「ここにあるじやない! まったくもう……。あなた、ボケてきたんじやないの?」
 声のするほうへ行ってみると、なんと、脱衣場の洗濯機の上に我が財布は鎮座ましましている。
「なぜ?どうして?」という疑問がとめどなく湧き上がってくるが、玄関と居間とを結ぶ廊下に面して風呂場の脱衣場があり、そこを通り過ぎるときに自分で洗濯機の上に置いたのは間違いあるまい。
しかし、その記憶がまったくない。

机の前にやってきたのに、何をしにそこへ来たのか忘れている、何度も会っている人の名前がどうしても思い出せないなど、類似の”事件”が立て続けに起こって、私は恐怖すら覚えた。

「俺の脳が衰えている!」

言うまでもなく、足腰が弱るといったような肉体的な問題も、脳の衰えに起因する。
しかし、記憶力や思考力といった、いねば純然たる脳内行為にまでコトが及ぶと、受ける衝撃は比べものにならない。
「ボケ老人」という言葉が妙に実体を伴って眼前に立ち現れた。