「ガンコ者」の誕生
とある土曜日の午後、一人でのんびり仕事でもしようと、繁華街の一角にある事務所に向かって歩いていると、前方から塗装職人らしき若者がやってくる。
近づいてきたその顔に目をやると、鼻の右側と借のところに白いペンキがついている。
「今日は土曜日だし、昼開け飲み屋も休み。今日・明日で店の改装工事でもやっているんだろう。しかし、ペンキ屋さんというのは大変だなあ。顔にまでペンキが飛ぶんだから……。どうやって洗うんだろう。やっぱり、ベンジンでごしごしやるのかなあ」
そんなことを思いながらなおも歩いていると、また、鼻の右側と眉のところに白いペンキをつけた若者がやってくる。
同じところにペンキを飛ばすというのもケッサクだ、と思いきや、すれちがいざまによく見ると、それはペンキではなかった。
この男の場合には、鼻の右側と眉にシルバーのピアスをしていたのだった。
人間とは面白いもので、けっこう強烈な印象を受けるものを目にすると、それが視覚にも思考にも「残像」として残るらしい。
そして、続いて見た似たようなものも、細かい観察はさておき、その残像を通して理解しようとするようだ。
もし、最初にピアスをした男とすれちがっていれば、私は、あとから来た男の顔のペンキをピアスだと思ったことだろう。
同じ経験を何度も積むと、視覚や思考の「残像」は「実像」となる。
その日、顔のあちこちに白いペンキを飛ばした男に何人も出会ったら、私の視覚と思考には、「顔の白いシミ=ペンキ」という構図がしっかり定着するはずだ。
そして後日、とある土曜日の午後……。
私は、二〇歳になった娘と繁華街をぶらついている。
すると、向こうから、鼻と下くちびるに白いものをつけた若者がやってくる。
すかさず、私は言う。
「あらら、顔にペンキをつけて……。誰も注意してやらないのかなあ」
娘は、まるで異星人でも見るかのような目つきで、私に言う。
「やーねー、お父さん。あれはピアスよ」
「なにバカなことを言ってるんだ。牛じやあるまいし、あんなところにピアスをつけるはずがないだろ。あれはペンキ、ペ・ン・キ!」
いわゆる「ガンコ者」の誕生である。
ガンコ者の頭には、「あれは十中八九ペンキだと思うが、ひょっとすると娘が言うようにピアスかもしれない」などと考える柔軟性はない。
しかし、悲しいかな、すれちがうときにちらと見れば、それは明らかにピアスである。
ガンコ者が始末に負えないのは、自分が間違っていたとわかるや、とたんに不機嫌になることである。
自分の間違いを素直に反省するのではなく、自分が思っていた通りにならない対象のほうに怒りを向ける。
そして、お決まりのひと言。
「まったく、この頃の者い者は……」 耳にタコができるほど聞かされるこの言葉、その歴史は相当に古いらしい。
聞くところによると、この言葉を最初に使ったガンコ者は、こう言ったという。
「まったく、この頃の若い者は二本足で歩いている!」