スポーツ界での顕著な成果
カードを使ったメンタル・トレーニング(これを私たちは「残像メンタル・トレーニング」と呼んでいる)が世間で注目を浴びたのには、主に三つの理由がある。
第一の理由は、とりわけスポーツの世界で、効果のほどが端的に実証されたことだ。
今さら言うまでもなく、スポーツはすべて、互いの体力・技術力・精神力を競い合う場である。
体力と技術力の差はわかりやすく、顕著な場合には素人でも容易に勝敗の行方を占うことができる。
しかし、全日本クラスや国際大会の準決勝・決勝ともなると、これらの差はほんのわずかでしかない。
そこで明暗を分けるのは、精神力である。
「最後は精神面の戦いとなりました」
「集中力がとぎれてしまったのが敗因です」
試合後にこんなコメントが聞かれるのはいつものこと。
要するに、自らの持てる体力・技術力をすべて出しきれるだけの精神的な支えがあったかどうか、ということである。
小浦氏は、前にも述べたようにプロのテニス・コーチ。
フェドカップ全日本チームの監督を務めていたから、国際試合でなかなか勝てない日本選手に切歯扼腕する思いだった。
確かに体力・技術力の差はある。
しかし、それ以上に精神面の弱さが問題だ。
これを克服して、少なくとも身につけた体力・技術力は百パーセント発揮できるようにしたい。
そう考えて、メンタル・トレーニングに残像カードを採り入れたのだった。
その明らかな成果が1995年のユニバーシアード福岡大会に表れたことは、前著でも紹介した通りである。
女子ダブルス決勝に進出した日本の平木理化・浅越しのぶ組は、台湾のペアと対戦。
好調な滑り出しだったが、第一セットの中盤、浅越選手が突如調子を崩し、ずるずるとそのセットを失ってしまった。
第二セットに入る前の短い休憩時間、小浦氏は、普段トレーニングしているカードを思い起こすように、と浅越選手にアドバイスした。
「リラックス」と「集中」と「目標達成」をテーマにした三枚のカードである。
彼女はしばし目を閉じ、三つの残像を瞼の裏に浮かび上がらせる。
こうして不調に陥った自分を過去のものとし、今、何に向けて集中しなければならないかを再確認する。
もう迷いはない。
当初の好調さを取り戻した平木・浅越組は、第二、第三セットを連取し、見事、金メダルを獲得したのである。
翌1996年から、残像カードはマスコミにも登場するようになった。
高校野球界でこのトレーニング方法をいち早く採り入れたチームが、甲子園で思わぬ活躍をしたのがきっかけだった。
その年の夏の甲子園大会の直後には、
「福井商が昨年十二月から採用している『カード式トレーニング』は、今大会ベスト8中、福井商を含めて3校が採り入れている。
優勝した松山商(愛媛)と、海星(三重)だ。松山商の奇跡的な優勝が、カードのおかげだとは言い切れないかもしれない。
しかし、なんといっても8分の3。メンタル・トレーニングの効果は、甲子園である程度証明されたと言える」
(日刊スポーツ・1996年8月31日付)。
また、翌年春の甲子園大会のあとには、
「高校野球や女子テニスの世界で、カードを使って集中力を高めるメンタルトレーニングがブームになりつつある。
今春の選抜高校野球大会の準優勝校中京大中京(愛知)は、四年前から導入。
日々の練習前と試合前に欠かさず行い、選手たちは試合中にも集中を高める術を会得していた。
テニスでも『ラリーが続くようになった』と効果が出ている」
(朝日新聞1997年5月23日付)
といった具合。
さらに1998年になると、NHK教育テレビの番組テキスト『趣味悠々 松岡修造とLet’s Enjoy Tennis』でも紹介されるに至った。
まったく、予想外の反響ぶりである。
小浦氏、椙棟氏、私の三人はチームを組み、椙棟氏主導で、1997年から毎年、高校野球の監督を招いて「監督交流会」なるものを開催している。
もはや一校のみが「秘密の特訓」と称して鍛練している時代ではない、有効なトレーニング法をみんなで研究してつくり上げていこうではないか、との趣旨である。
初回はわずか八校だったが、五回目の今年は三○校に増えた。
どの学校も、精神面の強化を図るのが最優先課題だとのこと。
その一環として残像メンタル・トレーニングを採り入れている。
だからといって、参加校がすべて甲子園で華々しく活躍できるようになったわけではない。
勝ち抜いていくためには、やはり一定レベルの体力と技術力がなければならない。
ただ、トレーニングのおかげで、選手たちは確かに、容易にリラックスし、集中するようになった、結果として、自分たちの力を百パーセント近く発揮できるようになった、と監督さん
たちから聞くと、私たちとしてはやはり嬉しい。
テニスや野球に端を発した残像メンタル・トレーニングは、今やゴルフ、バレーボール、オートバイ・レースといった世界にも、着実に浸透しつつある。