二種類の「リラックス」
今まで、「リラックス」「集中」という言葉を当たり前のようにして使ってきたが、そもそも、「リラックスする」「集中する」とは一体どういうことなのだろうか。
試みに「リラックス」なる言葉を辞書で引くと、
「くつろぐこと。力をぬくこと。緊張をゆるめること」(「広辞苑第五版)
とある。
一日の仕事を終えた満足感にひたりながら、ゆったりと温かい湯舟に身を横たえる。
このとき、確かに私たちの心身はリラックスしているだろう。
ワイングラスを片手にソファーに身を沈め、大好きなクラシック音楽に耳を傾ける。
あるいは、とりたてて何もすることがない日曜日、木陰に寝そべって抜けるような青空を眺めている。
こういったときも、リラックス状態にあることは間違いない。
いずれも、忙しい現代人にとってはまったく憧憬の念を禁じ得ない情景である。
共通しているのは、筋肉が弛緩し、胸の内に何のわだかまりもなく、緊急に考えなければならない事柄もない、というところだろうか。
広辞苑の定義にぴったりである。
しかし、試合に向かう際にコーチから「リラックスしろ」と呼ぴかけられたり、重役会議で新企画の提案を行う前に「リラックスだ」と自らに言い聞かせたりするときの「リラックス」は、これとは明らかに違う。
そんなときに筋肉が弛緩し、ついまどろんでしまうような状態に陥っていたのでは、勝利も成功もおぽつかない。
広辞苑に従えば、力を抜き、緊張をゆるめはするが、くつろぐわけではない。
このように、同じ「リラックス」でも、心身の完全な休息状態を意味する場合と、一時的に心身の緊張を解く場合の二種類がある。
残像カードで得ようとするリラックスは、もちろん後者のほうだ。
あくまで、次に獲得すべき「集中」の前段階なのである。