R/C/T 残像メンタルトレーニング

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高岸弘のコラム

2011.01.07
高岸弘のコラム

間髪を"いれる"?

私は、集中状態に入るためには、間髪を”いれる”ことが不可欠だと考えている。

人間、誰しも過去の出来事を引きずりつつ生きている。
頭の中にはいつも何かの考えが渦巻き、胸の内にはいつも何かの感惰がくすぷっている。
そのままの状態で、新たな活動に向けて心身を動員するのは至難の業であろう。
ここはいったん、すべてを空にして、真っ白な脳の状態をつくりだす必要がある。
それを、私は「間髪をいれる」という。

「間髪」とは、間に髪の毛一本が入るだけのわずかな隙間のこと。
「間髪をいれず」の言いまわしで、その隙問もないほど事態が差し迫っていたり、ある物事のあと、すぐさま次のことを行ったりする場合に用いられる。
だが、集中するためには、その隙間をつくらなければならない。
残像を追いかけることはそれにつながる。

脳とは面白いもので、同時にいくつもの惰報をキャッチして処理していながら、一方では、集中して二つ以上のことを並列処理するのが苦手である。
たとえば、車を運転しているときのことを考えてみよう。
ほかの車の流れや人の動き、道路の方向を瞬時に判断しながらハンドルを操作し、ブレーキを踏んだりアクセルを踏んだり…:・。
クラクションを鳴らしたり方向指示器を点滅させたり…。
これだけでも大変なのに、ラジオを聴いたり助手席の人と世間話をしたり…。
ときには、携帯電話で長話さえやってのける。
(※これを書いた当時は問題なかったのですが、今は罰せられます…)

ところが、電話の内容が込み入ってきて、状況をよくつかんで重大な決定をしなければならなくなると、おそらくあなたは、車を道路の端に寄せて停め、電話で話すことに専念する
だろう。
そのまま走っていると、事故を起こしてしまいそうだから。

残像を追うという行為は、そんな脳の性質を利用している。
つまり、瞼の裏に残像が見えているときは、脳の働きがそれのみに専念しているときである。
その証拠に、たとえば残像が見えている最中に簡単な計算でもしようとすると、たちまち残像は消えてしまう。

逆に言えば、残像を見ている間はほかのことは考えられない。
脳の中が一時的に真っ白な状態になる。
頭の中がすっきりしたような気がするのはそのためで、このとき、確かに「間髪をいれた」、つまり「リラックスした」のである。

長いサイクルを考えれば、”くつろぐ”タイプのリラックスももちろん大切だ。

プロ野球選手は長いシーズンを戦い抜くために、秋季練習と春季キャンプの間、普通はまるまる二ヵ月間休養する。
政財界の汚職や不正摘発に昼夜を問わない働きを見せる特捜検事は、かつてはひとつの事件を終えると二も三ヵ月間はボーッとして過ごし、その間に次の事件の仕込みを行ったものだという。

そこまで長くなくても、週に少なくとも一日は仕事を休むという”うまい”制度を人間はつくり上げている。
その一日か二日、終わらなかった仕事の続きをして過ごすのと、それはそれとして気分転換を図るのと、どちらが翌週の活動によい影響を及ぼすかは、経験上、誰でも知っている。

二種類の「リラックス」をいつでも、どこでも実現できる人は、この上なく幸せである。

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