R/C/T 残像メンタルトレーニング

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高岸弘のコラム

2011.01.26
高岸弘のコラム

「泣き」と「笑い」の効用

小学四年生の頃だったか、同じクラスに、小柄で気の弱い男子生徒がいた。
彼は、今でいう「いじめ」の対象だった。
悪童どもは、ことあるごとに彼にチョッカイを出し、侮蔑的な言葉を吐いたり、暴力的な行為に及んだりして憂さ晴らしをしていた。

その彼に、あるとき異変が起こった。
それまで、何の反応も反発も見せずにじっと「いじめ」に耐えていた彼が、そのときは突然、大声で泣き出したのである。
それは、全校中に響きわたるかと思われるほどのすさまじい泣き声だった。

呆気にとられたのは、第三者たる私たちだけではない。
彼に相対していた悪童の首領も呆然たる面持ち。
と、やおら、彼は自分より二回りも大きいその首領につかみかかり、押し倒し、馬乗りになってパンチの嵐。
さすがの首領も悲鳴を上げ、許しを講うばかりだった。
以来、彼が泣き出しそうな素振りを見せると、悪童どもはワッと退散するようになった。

思うに、彼は大声で泣くことによって、一時的に、それまでの小柄な自分、喧嘩に弱い自分をすべて忘れ去ったのではないだろうか。
そして、目前の課題、つまり、身に迫り来る危険をいかに振り払うかということにのみ集中し、その結果、持てるカを百パーセント以上発揮できたのではないだろうか。
いわゆる「火事場のバカ力」のようなものだ。

「泣く」という行為には、このように雑念を取り除き、一時的に脳を真っ白な状態に置くという作用がある。
心おきなく泣いたあとに妙にカタルシスを覚え、かえって晴れやかな気分になったという経験は誰にでもあるだろう。
失恋の痛手を涙で克服する人が多いのも、故なきことではないのである。

同じことが、「笑う」という行為についても言える。
頭の中がもやもやして仕事に行きづまったとき、周囲の者と雑談でもして「ワッハッハッ」と大笑いすると、なぜか「さあて、もうひと頑張りするか」と前向きな気分になれるものだ。
『週刊漫画ゴラク』という大人向けの漫画誌に、セックス・シーン満載の劇画に交じって「クロカン」という高校野球ものの連載がある。
その一場面-。

敗色温厚となったある試合のこと、最終回の攻撃に向かう前に、主人公の監督は、焦りと緊張でガチガチになっている選手たちに「笑え!」と命令する。
きょとんとする彼らを「何がなんでも、とにかく笑うんだ!」とさらに促し、自ら「ワーッハッハッ……」と笑ってみせる。
つられて選手たちも、「エヘへへへ……」「ヘラヘラヘラ……」。
そして-。

このチームは同点に追いつき、延長戦を制して勝利をもぎとる。

絵に描いたような筋書き、と言われればそれまでだが、ここで監督が「笑え!」と命令したのは、おそらく心身の緊張をほぐすためであったろう。
たとえつくり笑いにしても、「エへへへへ」と声を出したときの選手たちの脳には、一瞬の空白が生まれたはずである。
その空白が、重圧や焦りや緊張を忘れさせ、リラックスを与えて、当面の目標に全精力を傾けさせたのだと私は思う。

「泣き」と「笑い」には、このように、雑念を払って脳を一時的に真っ白な状態にする働きがある。
つまり「間髪をいれる」。
その目を見張るほどの効用には、さすがの残像カードも真っ青である。

と書いていて、私はふと、最近あまり笑っていないことに気がついた。
私は昔から人を笑わせることが大好きなので、周囲に笑い声が絶えたことはないのだが、私自身が心から笑うということは少ない。
それに……最近、全然泣いていない!

中高年になると、どうも泣いたり笑ったりという素直な感情表現が乏しくなるようだ。
とりわけ泣くことは、めったにない。
これは「くわばら、くわばら」である。

子供たちが驚くべき立ち直りの早さを見せるのは、この世の破滅とばかりに大声で泣き叫ぶからである。
また、何がそんなにおかしいのかと思うぐらい笑い転げるからである。
ここはひとつ、中高年族も彼らを見習って、何かと機会を見つけては泣き、笑いたい。

といっても、現実にはそんな場面にそうそう出くわすわけではないし、とりわけ男性にとっては、とりわけ泣く機会などありそうもない。
そこでー。

人間は、「泣き」と「笑い」の重要性に早くから気づいていた。
だからこそ、太古の昔から架空の物語のなかに悲劇や喜劇を大量に生み出してきた。
それは今も同じである。
何かに行きづまりを感じたら、映画館や劇場に足を運び、暗闇で誰はばかることなく涙を流し、呵々大笑するのも大いに刺激的なことではなかろうか。

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