R/C/T 残像メンタルトレーニング

R/C/T 残像メンタルトレーニング

高岸弘のコラム

2011.02.28
高岸弘のコラム

「集中する」とはどういうことか

さて、残像を追いかけたり、泣いたり笑ったりして無事「間髪をいれる」ことができたとして、次は「集中」である。

これは一体どういうことなのかと、しつこく広辞苑にあたってみると、
「ひとところに桑めること。また、集まること」
と記してある。
当たり前である。
これでは役に立たないので「心理学事典』なるものを2~3めくってみたが、「集中」「集中力」といった項目は見当たらない。
説明するまでもないほど当たり前のことなのか、難しくて説明できないから載っていないのか……。

私が目にした唯一の定義は、数年前にある雑誌(誌名は忘れた)で読んだ、コロラド州立大学の心理学教授にしてアメリカのオリンピック委員会スポーツ医学会議のアドバイザーでもあるリチャード・スイン氏による、およそ次のようなものである。
「集中するということは、ただ一つのことに注意を向けることである。しかし、一つのことに注意を向けることができても、その注意を持続することは非常に困難である。そこで、集中力とは、注意し続けることができる力のことである」

これとて、「当たり前じゃないか」と言われればそれまでのこと。
ただ、いささか手前味噂になるのを承知の上で言えば、残像カードによるトレーニングに照らし合わせてみると、スイン氏のこの定義には何となく納得させられるものがある。

先ほど述べたように、瞼の裏に残像が浮かんでいるとき、脳にはそのほかのことは存在していない。
その残像を追いかけるという行為は、「ただ一つのことに注意を向けること」にほかならない。
そして、訓練を積めば残像の浮かんでいる時間はだんだん長くなるから、それはまた、「注意し続けることができる力」が身についていることにもなる。
実際、残像トレーニングを実践している高校球児たちは、残像時間が長くなるに従って、集中力がとぎれなくなってきたと話している。

ここで、読者のみなさんは疑問を抱くかもしれない。
先ほどは、残像が見えているとき脳は真っ白な状態となり、「リラックス」を得ることができると書いた。
そして今、同じ状態で残像を追いかけることにより、「集中力」が養えると書いている。
であれば、なんのことはない、一枚のカードで両方が達成できるのであって、わざわざ「リラックス・カード」「集中カード」などと分ける必要はないのではないか……。

その通りである。
ことに残像の浮かんでいる時間が長くなれぱ、一枚のカードで一回行えば、「リラックス」し「集中」することができると選手たちは異口同音に語っている。

が、そこはトレーニング。
身につけるためにはそれなりの段階を踏むことが重要であるとご理解いただきたい。
だから、33ページのトレーニング方法で解説したように、「リラックス・カード」で残像を追うときは、「のんびりと、気持ちを楽にさせて、それまでの出来事をすべて忘れるようにと願いながら」、また「桑中カード」で残像を追うときは、「見ているという行為に強く意識を向けながら」とわざわざ記したのである。

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