R/C/T 残像メンタルトレーニング

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高岸弘のコラム

2011.03.27
高岸弘のコラム

「周辺集中」と「一点集中」

ところで、「リラックス」に二種類あるように、「集中」にも二種類が考えられる。
「周辺集中」と「一点集中」である。
同じことを、「ソフト・フォーカス」「ハード・フォーカス」とも呼んでいる。
「周辺集中」も「一点集中」も、その意味するところは読んで字のごとし。
あえて説明するなら、「周辺集中」は自分の視界に入るすべての情報に対し、意識を持って注意し続けるということ。
また「一点集中」は、現実的に目の前に置かれた目標に対し、雑念を入れずに注意し統けるということ。
「周辺集中」は平たく言えば「状況把握」であって、その行為自体に結末があるわけではなく、「一点集中」に至る前の準備段階ということもできる。

ゴルフを例にとってみると、初めてのコースでの第一打。
クラブを手にティーグラウンドに立ってまず何をするかというと、フェアウェイをずうっと見渡し、ピンまでの距離はどのくらいか、途中の邪魔物である樹木やバンカー、池などがどう配されているか、そして第一打をどのあたりに落とすのが最も効果的か、などとできる限り状況を把握すべく「周辺集中」に努める。
それらの情報を検討・処理した上で、ティーアップされたポールに対する「一点集中」に入る。
体力・技術力が備わり、「周辺集中」が完壁であれば、シングル・プレーヤーなんぞ朝飯前である。

もしあなたが、銀行強盗をたくらんだとしたらどうだろうか。
まず、狙いをつけた銀行が警察署からどのくらい離れているか、行員は普段何人いて、強そうな、あるいは機転の利きそうな男がいるのかどうか、金庫はどこにあって、どんなセキュリティ・システムがほどこされているのか……と「周辺集中」したのち、さあ押し入って、金庫の錠を開けることに「一点集中」。
強盗の歴史に名を残せるか、一介の間抜けな強盗として嘲笑の的になるかの分かれ道は、二種類の集中をともに行い得るかどうかにかかっている。

もちろん、世の中には、どちらか一方の集中力を特に強く発揮することで認められる人たちもいる。
たとえば、野球のピッチャーは「一点集中」優位型、キャッチャーは「周辺集中」優位型であろう。

芸術家はおしなべて「一点集中」型である。
自らの感性に従って「美」を追求し、それを自らの欲する形に表現しようとするのが本分の彼らにとっては、世間で今どんなものが流行っているかとか、どんな形にまとめればウケるかとか、いつまでに仕上げろのが最も効率よく稼げるかといった状況把握は、本来無縁のものだ。

これに対して典型的な「周辺集中」型とも言えるのが、いわゆる「評論家」と呼ばれる人たちである。
彼らは、物事の至らぬ点をあちこちから引っ張り出してきては、鬼の首をとったかのように声高にアピールする。
そのこと自体は確かに問題提起として必要なのだが、ではどうするかという「一点集中」に欠けること、しばしばである。
「一点集中」を専売特許にしているのは、何といっても子供。
テレビゲームなんぞをやり始めようものなら、「さあ、ごはんよ。やめなさい」との母親の声どころか、後ろで打ち上げ花火が上がったって気がつかないほどの熱中ぶりである。
彼らの脳の中にも、しなければならないこととしてインプットされている事柄はたくさんあるだろう。
宿題、犬の散歩、部屋の片づけ等々……。
しかし、それらを”屁”とも思わずに無視して通れる通行手形を、彼らは持っているようである。

戦後ジャーナリズム界の大立者でアイデアマンとしても知られた大宅壮一氏は、街中を歩きまわりながら物事を考える癖があったらしい。
ある日、いつものように考えにふけりながら歩いていたら、一人の婦人とすれ違ったことには気がついた。
そこで「こんにちは」と挨拶した。
ところが、あとでわかったことには、その婦人は奥さんであったという。

それぐらい「一点集中」する人であったというエピソードだが、それで事故にあったとの話は聞かない。
ひょっとすると、電柱にぶつかったり溝にはまったりすることぐらいはあったかもしれないが、大事に至らないよう、無意識のうちにちゃんと身を守ってくれるのが脳のまた面白いところである。

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