表と裏
この世に存在するものには、すべて表と裏がある。
自然にあるものも、人工的につくられたものも、すべてそうである。
と言うと、意地の悪い友人たちは、次のような質問を発して私を困らせようとする。
「だったら、テニスのポールは?地球は?どちらが表で、どちらが裏?」
私は少しも動じず、こう答える。
「見えているほうが表で、その反対側が裏だ!」
表と裏は、人間にもある。
顔がついているほうが表で、その反対、つまり背中側が裏……という話ではない。
もう少し内面的な問題で、たとえば、気立てが優しいとばかり思っていた人が意地悪なことをしたり、怠け者と評判の男が突然、身を粉にして働き始める、といったようなことである。
人間、誰しも表と裏があるのに、とかく、「あの人は良い人」「この人は悪い人」と決めつけがちである。
「良い人」との評価が定まっている人は幸いだが、「あの人はとんでもない悪党よ」などと決めつけられた人は、とんだ災難である。
そうした人でも、悪く思われている程度に見合うだけの「良い面」を持っているはずだと私は思う。
一円玉の表は小さいが、裏も小さい。
一方、五百円玉の表は大きく、裏も大きい。
要するに、表が大きければ、その分、裏も大きい。
だから、「すごく良い人」には「すごく悪い人」という面もあるに違いない。
よく効く薬ほど副作用も大きい、とよく言われるが、それと同じである。
本当の姿はさておき、この世には、職業的に良い面しか見せない人と、悪い面しか見せない人がいる。
前者の代表例を挙げれば、政治家、CMタレント、営業マンなど。
彼らの良い面の見せ方は強烈で、そのあまりに完全無欠なアピールの仕方ゆえに、どうしても裏を勘繰りたくなってしまう。
その意味では、案外正直な人種なのかもしれない。
悪い面しか見せない職業の人を挙げれば、暴力団員、悪役タレント、役所の窓口担当者といったところだろうか。
役所の窓口担当者をこのなかに入れることには異論もあるかもしれないが、私には、彼らが、どうしても意識的に悪い面を見せようとしているように思えて仕方がない。
今ではほとんど見かけなくなったが、かつては、建築現場に出かけると、「迷惑料」という小遣いを徴収にやってくる”その筋の人”が後を絶たなかった。
彼らは、現場事務所に来るまでは、その出立ちを別にすれば、ごく普通の人のように歩いてくる。
ところが、事務所が近づくにつれて次第に肩を怒らせ始め、目つきは鋭くなり、事務所の手前で、タバコの吸い殻を地面にめりこむまで踏みつける。
足音も高く事務所に入ってくると、怖いほど黒光りするインクの染み込んだ名刺を差し出しながら、すすめもしないのにソファーにどっかと腰を下ろす。
そして、ドスの利いた声で用向きを伝える。
しかし、私は見てしまったのである。
そのようにして小遣いをせしめていったある御仁が、数日後、道に迷って途方にくれているおばあさんに柔和な笑顔を向け、わざわざ目的地まで案内してやっている姿を。
この広い世の中にわんさといる人間のなかで、たまたま知り合いになる人はまさに「大海の一滴」。
せっかくのご縁なのだから、その人の良い面と悪い面の両方を見ることが大切である。
しかし、良い人と思われている人に対して、「いや、この人にも悪い面があるはずだ」という見方をすると、どうもアラ探しをしているようでいけない。
だから、まずは、悪い人と思われている人の、良い面を見つけることから始めるようにしたい。