R/C/T 残像メンタルトレーニング

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高岸弘のコラム

2013.08.23
高岸弘のコラム

「利き手」と「利き脳」

 空いた電車に乗ると、向かい側に一列になって座っている人の姿がよく見える。熱心に読書をしている人、ヘッドホンをつけた人、居眠りをしている人など、さまざまである。足を組んでいる人もいれば、腕組みの人、指を組んで膝の上に置いている人もいる。ミニスカートの若い女性が足を組んでいると、どうしても気になる。

 その女性が足を組み替える瞬間はつい視線を奪われてしまうが、ハタと気づくと、足の組み方には二通りがある。右足が上になる場合と、左足が上になる場合である。疲れてくるとほとんどの人が組み替えるだろうが、最初の足の組み方はほぼ決まっているはずだ。

 そう思って注意して見ると、腕の組み方も、右腕が上の人と左腕が上の人がいる。指の組み方にしても、右手の親指が上にくる人と左手の親指が上にくる人がいる。白分や周囲の人間の例からして、左右のどちらが上にくるかは、人によってほぼ決まっている。

 ある調査によれば、右利きの人で、右腕や右の親指が上にくる人は約半数だというから、両者に相関関係があるとは言えない。しかし、左利きの人の場合、七~八割の確率で左腕や左の親指が上にくると言われると、こちらは相関関係がありそうだ。

 この不一致は、右利きの人が、必ずしも本来そうであったとは限らない、ということに由来していると思われる。幼い頃に強制的に右利きにされた人が少なからずいるわけで、その意味では、左利きの人で調べた「七~八割の確率」というほうに信を置いてよさそうである。つまり、利き手と腕や指の組み方、足の組み方には、いくらか関係がある。

 それにしても、なぜ「利き手」というものがあるのだろうか。

 私たちの体は、見た目にもほぼ左右対称にできている。目、耳、手、足は左右に一対ずつあるし、内臓だって、肺と腎臓は左右にひとつずつある。大脳半球も、よく知られているように右と左に分かれている。

 二つずつそろっているものは、大脳半球も含めて、鏡に映したようにシンメトリックにできている。左右がこれだけよく似ているということは、これらをバランスよく使っていくのが理想なのですよ、という神さまの思し召しなのだろう。

 実際、私たちは、左右の手足をうまく協同して動かすことができるし、目や耳も、両方をともに使って、方向や遠近感を捉えることができる。これは、手足を動かす運動野が左右の大脳半球に振り分けられているからであり、また、目や耳を働かせる視覚野や聴覚野も両方の大脳半球に存在するからである。

 ところが、左右の大脳半球にともにある運動野や視覚野や聴覚野などは、必ずしも同じ程度に働いているとは言いがたい面がある。早い話が「右利き」「左利き」である。両手を同じように使いこなせる人もたまにはいるかもしれないが、ほとんどの人は、右か左か、どちらかをかたよって使う。

 足についても同様で、たとえば走り幅跳びのような競技をするとき、踏み切るほうの足はほとんどの人がどちらかに決まっているだろう。目と耳についても、人によって、左右どちらかの目や耳がよく利くという。

 世の中に当たり前のように右利きと左利きが存在するということは、左右の大脳半球の働きに差があるということの証である。よく使う手や足を「利き手」「利き足」というように、優勢に働くほうの脳を一般に「利き脳」という。

 この左右の脳は、体の左右とは支配関係が逆になっている。つまり右側の脳は体の左側を支配し、左側の脳は体の右側を支配している。これは、運動野や視覚野や聴覚野などから出る神経が、脳幹や脊髄で交差しているからである。ただし、この交差は完全ではない。運動神経でも一部は同じ側の筋肉につながっているし、目や耳の感覚神経は、かなりの部分が同じ側につながっている。脳溢血などで右脳に障害が起こると、左半身が麻痺するものの、目や耳はそれほど影響を受けないのはそのためである。

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