01.はじめに
私の職業は建築家。
依頼を受ければ、個人の住宅でも別荘でも、店舗でもホテルでも公共施設でも設計する。
依頼がなくても、荒れ地があれば、そこを何か人間にとって役立つように利用できないか、放置されたトンネルがあれば、それを有効に使って美術館にでもできないか、などと考える。考えているときがいちばん楽しい。
私はまた、デザイナーでもある。企業や団体のマーク、コーヒーカップやスリッパなどをデザインしたりする。
これもまた、紙切れを取り出し、ああでもない、こうでもないと図柄を描いたり色を塗ったりしているときが、いちばん楽しい。
何しろ、真っ白い一枚の紙の上に、この世に存在しないものを鉛筆一本で創り出していくのだ。
私はどうやら、普通の人に比べて集中力がかなり高いようだ。
つい寝食を忘れて熱中する性癖がある。
気分が乗ってくると、午後から始めた仕事に夢中になり、気がつくと翌日の明け方だったということはザラである。
といっても、誰でもそうだろうが、“乗る”まではなかなか大変。
依頼されたものに対して、本当にこの自分が、公表しても恥ずかしくないものを表現し切ることができるのだろうか、世間に大恥をさらすことになりはしないか、などと不安感に襲われたり、次々にネガティブなイメージが湧いてきたりする。
今から 7 年前の 1990 年の夏、とある団体のシンボルマークを依頼されたときは、とりわけ不調だった。
何度も、案を描きかけては紙を破り捨てる。
いつもなら、そうした行為を繰り返しているうちに、不安感やネガティブなイメージはしだいに消えていき、紙の数にして十〜二十枚、時間にして一時間半〜二時間が経過すると、おのずと集中状態に入っていける。ところが、その日は、二十枚を超えても、二時間を超えても、一向にそれらしい気配が訪れてこようとはしない。仕方なく、私は紙に落書きを始めた。
何の気なしに描いたのは、三角形二つを逆向きに重ねた形。
それは偶然にも、ユダヤ教で神聖とされ、イスラエルの国旗にも使われている「ダビデ星」。
その図柄に、色鉛筆でいろいろな色を塗っては遊んでいた。
すでに夜も遅く、疲れもピークの状態。
「あーあ、疲れた」と、大きく背伸びをして目を閉じた瞬間、瞼の裏に強烈な残像が浮かんだ。
色のついたダビデの星の残像。
「へえー、これは面白い」
もう一度図柄をじっと見つめ、目を閉じてみる。
すると、また色のついた残像が浮かんだ。
何度か残像を追いかけているうちに、不思議に、疲れがとれたような気がした。
ボヤーッとした感じがなくなり、頭のすっきりした自分を感じた。
と同時に、俄然やる気が湧いてきて再びシンボルマークのデザインに取り組んだのだった。
これに味をしめて、翌日から私は、しばしダビデの星の残像を楽しんでから仕事にとりかかることにした。それまで、集中状態に入るのに一時間半〜二時間を要していたのにたったの数分で済むようになった。
おかげで、一週間はかかると思っていたマークのデザインは三日間で終わり、しかも、なかなか気合いの入った、我ながら見事な出来栄え。
依頼主からも絶賛されたのをよく覚えている。
おいおい、妙な話を始めるつもりじゃないだろうな・・・そんな声が聞こえてきそうだが、もちろん、そんなつもりはない。
ともかく、それからというもの、私は残像現象に非常に興味を覚え、いろいろにデザインしてみた。
どんな形と色の組み合わせがよいか、どの程度の彩度と明度が、どう気分に作用するのか⋯⋯。
何度も描き直しては自分の目、いや瞼で確かめ、何となく作品のようなものが十数枚できあがった。
ところで、「どうするの、これ?」
そこで思い出したのが、メンタルトレーナーとして大脳生理学を勉強していた知人の事。
彼も残像現象に興味を持っており、スポーツ関係者や企業経営者、登校拒否児などに対して、いろいろなトレーニングを試みていた。
さっそく、私のわけのわからない作品集を持ち込んだところ、大いに関心を示してくれた。
そんなある日のこと、事務所に一本の電話が入った。
「私、小浦と申します。テニスのコーチをやっています。高岸さんの描いたあの残像を引き出す絵を友人のところで見つけたんですが、非常に興味がありますので、一度伺ってもよろしいでしょうか」
出会いというのは不思議だ。
こうして、全日本フェド杯監督でプロのテニス・コーチの小浦猛志氏と建築家は、週に一度は会って、実践的な図柄の開発を進め、現場でのテストを繰り返すことになった。
その結果、「リラックス」「集中」などの面で、驚くほどの効果をもたらすことがわかった。
途中から、高校野球界や阪神タイガースでトレーニング・コーチとして実績をあげている椙棟紀男氏が加わり、スポーツ界におけるより高度なトレーニング・ツールとしての開発が始まった。
そして、「高校野球や女子テニスの世界で、カードを使って集中力を高めるメンタルトレーニングがブームになりつつある。
今春の選抜高校野球大会の準優勝校中京大中京高校(愛知)は、四年前から導入。
日々の練習前と試合前に欠かさず行い、選手達は試合中にも集中を高める術を会得していた」(朝日新聞・1997 年 5 月 23 日夕刊)と言う事態に⋯⋯。
私は建築家、デザイナー。
カードを使った「残像メンタルトレーニング」の効用について、そのメカニズムを詳細に論じることはできない。
しかし、自らの経験に照らして、また幾つかの実例に照らして、相当の効果をあげることは事実である。
そこで、私の建築家としての体験と、行きがかり上勉強した脳の話と、「残像メンタルトレーニング」の具体的な実践法とについて一冊にまとめることにした。
今日、スポーツ界のみならず、ビジネスの面においても、学習の面においても、自らの能力をフルに発揮するためにはメンタルトレーニングは不可欠といわれている。
その手法のひとつが本書で述べるもの。
これは簡単である。
解説を読みながら、いつでも、どこでも試してみることができる。
ただし、「これで俺も試合に勝てる」「これで私も仕事で大成功」などと、よけいな期待を抱いてはいけない。
カードの目的は、あくまでも雑念を払い、意識を集中し自分の持っている“力”100%発揮するサポートツールだから。
続きを読みたい方は01〜08の順でお読みください。