R/C/T 残像メンタルトレーニング

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【コラム】残像メンタルトレーニングの誕生

02.モンテ・カルロの大邸宅

残像メンタルトレーニングの誕03

この部屋は、寝室に続くプライベートなサロン。
私たち夫婦が、本当の意味で裸になって今日一日を振り返り、また将来のあれこれを語り合うところ。
だから、天井からのやわらかい間接照明がいいわね。

ここは、仕事で面倒なことが起こったとき、主人がよく一人でこもってしまう部屋。
だから、自然にリラックスできるようにしたいの。内装は木をふんだんに使ってちょうだい。
最新の音響設備も、見えないように入れて欲しいわ。
次の部屋はね、気分がハイになれる空間にしたいの。
私が絵を描くときに使ったり、パーティを開く直前に一時間ぐらいこもって、お客様を迎える心の準備をしたりするのよ。
こちらがハイな気分で明るく迎えると、お客様たちも気持ちがいいでしょう?

ここはモンテ・カルロ。
地中海に臨み、観光・保養地として世界的に知られる小国モナコの北部。
地図で見ると“点”でしかない狭い区域に、ホテルやカジノに混じって、世界中の金持ち連中がところ狭しと別荘を構えてもひときわ目立つのが、イタリアの著名な食前酒メーカー、マルティーニ&ロッシ社の会長宅。敷地およそ 7 万平方メートル、会長夫婦が住む本邸のほか子供たちのための屋敷が配置され、4 百人ほどが収容できる大理石造りのオペラハウスまでも有している、それは豪壮な邸宅。
そのロッシ邸が、全面的な修復改装工事を行うことになった。
もう二十数年も前の話である。
当時二十六歳の私は、イタリアはミラノ市に本拠を置くビットーレ・チェレッティ工学博士事務所に所属していた。
「工学博士事務所」とは耳慣れない名前だが、日本でいう建築事務所のようなもの。
建築物の設計や内装が主たる仕事で、ほかに家具、宝石などのデザインまでも手がける点が異彩を放っていた。ボスのビットーレ・チェレッティ氏は、国立ミラノ工科大学の教授。
ミラノの市会議員でもあり、画家でもあるという当地の名士だったから、おのずとスケールの大きい仕事が舞い込む。
親友であるイタリア最大の自動車メーカー、フィアット社のアニエッロ会長を通じて、ロッシ氏との交友も始まっていたせいだろうか、彼の大邸宅の修復改装工事も、この事務所が請け負うことになった。
工期は二年。
なにせ本邸だけでも二十数室を有するほどだから、二年といってもそれは短いぐらい。
敷地内に工事用事務所と宿泊施設を建設しての大工事となった。
ロッシ邸がどれほど広大、豪壮なものであったか、ここに全体図を描いてみせたいところだが、残念なことに図面がない。

残像メンタルトレーニングの誕04

その頃、かつての貴族階級や大金持ちたちは、強盗や身代鉄目当ての誘拐といった犯罪の格好のターゲットにされていたから、図面は、工事が終わるとすべて施主に返却しなければならなかった。
記憶を頼りに描けないこともないが、やめておくのが無難だろう。まさか、本書の図を見てロッシ邸に押し入ろうと考える不届き者がいるとは思えないが⋯⋯。
ともかく、主要な構造の修復工事が終わるのに一年ほどかかった。
それからが、内装担当の私の出番。期待と不安の入り交じった思いで、私はモンテ・カルロに向かった。
ミラノから列車で六時間。
中世の要所であった地中海沿岸の都市ジェノバに出て、あとは海岸沿いにひたすら西へ走る。
避寒地として有名なサンレモを過ぎて、フランスに入ると、まもなく小国モナコである。
実をいうと、出発前、私はロッシ邸について、それほど詳しい説明を受けていなかった。
だから、モンテ・カルロ駅からタクシーで邸宅に向かい、眼前に巨大な円筒形構築物を認めたときには、てっきりそれがロッシ邸だと思った。
二本とも、直径十メートルほどもあろうかというレンガ造りの三階建て。
各階の窓にしつらえられた花台には、ゼラニウムの真っ赤な花が咲き乱れていた。
しかし、それは門であった。
一方は邸宅の管理事務所、もう一方は警察の詰め所。
両者の間には、高さ五メートルほどの見上げるような門扉。
タクシーを降りようとすると、運転手が言った。
「どうして、ここで降りるんだ?」
邸へは、その門を入ってさらにしばらく、ゆるやかなカーブを描く上り坂をいかなければならなかった。

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